==== はじめに ====
うら [裏]
表面と反対の、隠れている方(にあるもの)。(広辞苑)


「裏」という言葉には、なにか人の心を誘う妖しい響きがある。

ひとは、なぜか「裏」に惹かれる様である。慣れた旅人は裏街道や裏町を好み、ゲームの世界では「裏ワザ」なるものが 大きな魅力の一つになっている。「裏ビデオ」にしても、ひところ流行った「裏本」にしても、きわどい性表現には 「裏」がつきもののようである。
裏話、裏金、裏窓、裏通り、路地裏、舞台裏、裏工作、人生の裏街道、裏表のある奴...等など、なにか陽があたらない、 薄暗いイメージで、ときには犯罪めいた匂いすらして、それでいて魅力を感じずにはいられないものばかりである。


ところで、不思議なことに、なぜか英語には「裏」ということばにぴたりとあてはまるものがない。

うら[裏]
the back; the reverse (wrong) side; the underside (下側); the inside(内側);<背後> the back; the rear;
(研究社 新英和中辞典)
なんだか即物的で、ちっとも影があるというか、妖しくも魅力がある感じがしないではないか。

西洋人には、われわれ日本人が「裏」という言葉に感じる、微妙な感覚はないのだろうか。
16世紀にイエズス会の宣教師として来日し35年間を過ごしたポルトガル人、ルイス・フロイスは、自らの経験と観察を もとに、日本とヨーロッパの文化の相違をつぶさに綴った本を著したが(この手の比較文化の本としては世界初のもの である。)、その中でこう書いている。

われわれの間ではいつでも衣服の地は裏よりも良質である。日本では貴人(セニョール)の胴服 dobuqus は、可能ならば その生地より良い裏地をつける。 (ルイス・フロイス「ヨーロッパ文化と日本文化」第1章 岩波文庫)

やはり、「裏」にある種の執着を感じるのは日本人に独特のものなのだろうか。機会があれば他のアジア人にもきいて みたいものだ。

ところで、これから取り上げるのは、ジャズのハーモニーのなかで、いわゆる「裏コード」と呼ばれているものであるが、 これは英語ではなんと言うかというと、Tritone Substitusion である。直訳すると、「増4度の置き換え」とでもなるん だろうけど、なんだか無機的な感じがして、ちっとも興味がそそられてこないと思うのは私だけだろうか。そもそも私が 裏コードに興味を持ち、マニアックな収集をせっせとはじめたのは、そのハーモニーのもつサウンドから入ったわけではなく、 「えっ、なにそれ、その”裏コード”って? おしえておしえて。」という感じで、「裏コード」という謎めいた言葉に惹かれてのこと だったのである。

これから展開する論文(?)は、内容的には学術論文として十分通用すると自負するものであり、ジャズを志す人、勉強中 の人にとっても、非常にためになり得るものではあるが、私自身の気分としては、超マニアックな、オタク的なものである。
たとえば「マイルス・デービスは抽象的なメロディーラインをプレイする人と思われているけれど、実はチャーリー・ パーカーとのサボイでの吹き込みでは、こんなかわいい裏コードフレーズを吹いているんだよ。」っていうのは、「鈴木京香 っていまは女優だけど、カネボウ水着キャンペーンガール時代には結構迫力のボディーを披露しているんだよ。」といって、 当時のテレフォンカードを集めているのに近いと思ってほしい。私も最初は「自分のプレイのイデオムを構築するための研究」 という意識が無かったわけではないのだが。

この論文は、あくまで 「マニア向け」 であり、「誰にでもわかるJAZZハーモニー入門」 といった種類のものでは ないのでその点ご了承いただきたい。 ハーモニーの基礎的な事柄、例えば ケーデンス、トニック、ドミナントモーション、 2−5(ツー・ファイブ)といったような用語については理解していることを前提として話を進めさせていただく。

また、本論は裏コードに関するジャズ理論の中でも、ジャズのソロにおけるシングルトーンでのメロディーラインに 照準を当てているので、ヴォイシングやアレンジについてはほとんど触れることがない。(というより、そっち方面は よくわかんないんだよね。)